こんにちは、レイです!
今回は、横須賀の「ヴェルニー記念館」をきっかけに、スチームハンマーと日本の近代造船について深掘りしてみました!
フランスから来た近代化の立役者、ヴェルニーさんってどんな人?
フランソワ・レオンス・ヴェルニーさんは、幕末の日本に招かれたフランス人の技師です。
1865年、徳川幕府の命で日本初の近代的造船施設「横須賀製鉄所」の建設を指導しました。
ヴェルニーさんは単なる設計者ではありません。技術だけでなく、工場の運営方法、技術者の育成、インフラ整備(上下水道、灯台など)まで、多岐にわたる近代化を進めました。
彼の功績は、日本の「ものづくり」の文化に大きな転機をもたらしたと言えるでしょう。
そもそもスチームハンマーって何?
スチームハンマーは、蒸気の力を使って金属を叩く大きなハンマー型の機械です。
これまでは職人が手作業で叩いていた金属加工を、大量に、しかも高精度で行えるようにした画期的な装置です。
スチームハンマーの仕組み
これにより、鉄製の船部品や大型ボルト、レール、橋の部材などを大量生産できるようになりました。
横須賀に導入されたスチームハンマーは、1865年に製造され、翌年オランダから輸入されたものです。
日本最古のスチームハンマーであり、現在は国の重要文化財に指定されています。
ヴェルニー記念館で実物を見ることができますよ。
スチームハンマー以前の造船技術は?
スチームハンマーが来る前の日本の造船は、木造船が中心でした。
江戸時代の職人たちは、伝統的な手法で一つ一つ丁寧に船を作っていました。
当時の特徴:
一部で「千石船」や「和船」と呼ばれる大型船もありましたが、構造はあくまで「手工芸的」なもので、大量生産や精密な加工はできませんでした。
幕末になると、ペリー来航や欧米列強の影響で、日本も近代的な造船技術の必要性を痛感します。
西洋から輸入された鉄製軍艦に圧倒された日本は、自国で鉄の船を作るため、技術革新が求められました。
そこに登場したのが、ヴェルニーさんと、彼がもたらした「スチームハンマー」などの近代設備だったのです。
横須賀製鉄所と日本の近代化の加速
スチームハンマーの導入により、日本はようやく西洋と同等の「金属加工技術」を手にしました。
これは軍艦の建造だけでなく、鉄道・建設・インフラの整備にも直結する、大きな革命でした。
そしてその中心地が、まさに横須賀。
横須賀製鉄所では、多くの若者が技術を学び、日本中へとその知識が広がっていきました。
「三笠」や「富士」へ…技術が受け継がれた戦艦たち
- 「甲鉄(こうてつ)」:日本初の装甲艦(フランス建造)。整備に横須賀の技術が使われました。
- 「富士」や「八島」:日本が自ら建造した近代戦艦。
- 「三笠」:日露戦争で活躍した戦艦で、現在は横須賀・三笠公園に記念艦として保存中。
これらの艦船の技術的土台を作ったのが、ヴェルニーが築いた横須賀の製鉄・造船インフラだったのです。
おわりに:ヴェルニー記念館で「技術のはじまり」に出会う
ヴェルニー記念館は、こうした日本のものづくりの転換点を象徴する展示が数多くあります。
「どうやって日本は西洋に追いついたのか?」という疑問の答えが、きっとここに見つかります。
日本の工業の原点に触れたい人にとっては、まさに「宝物のような場所」。
日本が「木の船」から「鉄の船」へと進化した、そのリアルな歴史がここにあります。
ヴェルニーさんの情熱と、蒸気の力が、今の日本のものづくり文化を築いたことを実感できますよ。
横須賀駅から徒歩1分。
無料で入れるので、横須賀を訪れたときはぜひ立ち寄ってみてくださいね。
歴史の面白さと、ものづくりの力強さを実感できるはずです!